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使命
Mission
静岡蒸溜所は、世界のウイスキー文化のさらなる発展に貢献します。
Shizuoka Distillery contribute to the further development of the world’s whisky culture.
物語
The Story
静岡蒸溜所は、ウイスキーを愛する情熱から誕生しました。
Shizuoka Distillery was born from the passion for whisky.
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愛好家
An enthusiast
創業者の中村大航(なかむら たいこう)は、お酒を愛するひとりの一般人でした。
子供の頃、父親が買いそろえたウイスキーのコレクションを横目に育ち、早くも10歳のときにサントリー白州蒸溜所を見学しています。大学時代にはスコッチウイスキーの地域毎の飲み比べを経験して、深い驚きを覚え、二十代のうちにバーで様々なウイスキーを飲むようになりました。
三十代半ばには、ニッカ余市蒸溜所でウイスキー造り体験に参加しています。さらに静岡県内の日本酒や山梨や長野のワインの生産者も訪問し、お酒に対する理解を深める中で、静岡地酒の振興イベントにも関わるようになりました。それでも中村にとって「お酒は、嗜むもの」でした。
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系譜
Generations
実は、中村の祖父と父は、ウイスキーに縁のある人物でした。
祖父である中村萬次郎は、大日本帝国海軍の技術系の武官として、1930年には英国に駐在していました。当時、造船で世界をリードしていたスコットランドのエヂンバラやグラスゴーへも視察に訪れていたのです。英国に範を求めた帝国海軍の軍人ですから、現地でもスコッチウイスキーを飲んでいたものと思われます。萬次郎は終戦後、出身地の静岡県清水市(現在の静岡市清水区)に戻り、1948年に精密部品の製造会社を興します。
父 中村光次(萬次郎の長男)もその影響を受けてか、ウイスキーを深く愛していました。長年、東京八重洲のリカーズハセガワにてウイスキーを買い求め、そのコレクションは中村大航が驚くほどでした。光次は静岡蒸溜所のプロジェクトの最も良き理解者であり、直接的に実現を後押しした人物です。
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決意
Will
中村が43歳のとき、運命の瞬間がやってきます。
若くして祖父が創業した会社を承継し、経営者として働く中、自分で何か新しい事業を起ち上げたいと考え、模索する日々が何年も続いていました。
2011年に東日本大震災が発生し、それまで法律で許可されなかった「再生可能エネルギーで発電した電気を、家庭向けに販売すること」が規制緩和になると分かり、2012年1月に勇んで設立したのがガイアフロー株式会社でした。しかしながら結局、その施行は4年先に遠のいてしまいました。
2012年6月、失意の中、プライベートで欧州への旅に出ます。せっかくだからと、ウイスキーの聖地、憧れのスコットランドはアイラ島を初めて訪れました。
歴史や伝統あるウイスキー蒸溜所を巡る中、最後に訪れたのがベンチャーの新興蒸溜所「キルホーマン」でした。田舎で、小規模で、古式ゆかしい設備で、手造りで唯一無二のウイスキーをつくり、世界中で販売する様子を目の当たりにして、中村は大きな衝撃を受けたのです。
「自分のやることは、日本でウイスキーを造って、世界で販売することか!」
キルホーマンを見た直後から、その気づきで頭の中が一杯になりました。雷に打たれるという表現が、これほど当てはまる場面は無かったでしょう。
この瞬間、中村はウイスキーを造らずにはいられなくなったのです。
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奮闘
Struggle
ウイスキー製造を決意したとはいえ、その実現は不可能かと思われました。
中村は醸造学科を出ている訳でもなければ、酒造りの職業経験もありません。ウイスキーを新たに造るなど、ただでさえ困難であるのに、まったくのゼロからの挑戦でした。
まずは、自らの手で小規模なウイスキー蒸溜所を起ち上げた日本で唯一の人物、肥土伊知郎氏にアドバイスを求め、「まずは業界に飛び込んでみたらどうですか?」という提言を得ました。
そこで2012年11月にガイアフロー株式会社で洋酒輸入卸売の免許を取得し、偶然に知り合ったブラックアダー・インターナショナル社の総輸入元として、2013年4月から3人のスタッフとともにウイスキーの輸入販売業をスタートしました。
しかし、当時の日本ではウイスキーは全く人気の無いお酒でした。愛飲する人は少なく、飲食店ではわずかにハイボールが飲まれているくらいでした。当然、輸入したウイスキーもほとんど売れないどころか、事務所の電話が鳴らない日々が何ヶ月も続き、起ち上げ時に入社したスタッフの2人は退職していきました。
中村も、100人以上の従業員を抱える部品製造会社の経営と兼務しながらではウイスキー事業として出来ることに限界を感じていました。2013年末、ついには起ち上げたばかりのガイアフローに専念する決断をします。
「部品を作る人はごまんと居るが、ウイスキーを新たに造ろうという人間は自分しかいないだろう」
そう考えた中村は、事業承継をした元々の会社の代表取締役を辞任し、ウイスキーを唯一の本業としました。状況が一変したのは、そのすぐ後でした。
奇しくも2014年秋からNHKでニッカウヰスキーの創業者 竹鶴政孝氏のドラマ化が決まり、日本国内に一大ウイスキーブームが巻き起こったのです。そのお陰で輸入販売事業は軌道に乗り、ガイアフローは業界内で知名度を高めていきました。
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建設
Construction
ウイスキー蒸溜所の実現は、いくつもの幸運に恵まれた結果でした。
中村は、輸入販売事業を起ち上げると同時に、蒸溜所建設の適地探しを始めていました。しかし、全国の物件を一年以上かけて色々当たっても、これという場所が見つかりませんでした。そんなとき、たまたま知り合った地元のCSA不動産 小島孝仁 社長が「私が探しますよ!」と名乗りを上げてくれました。
そして数ヶ月後、地元である静岡市内の山あいに、横を川が流れ、2万㎡の広さがある、ウイスキー蒸溜所にピッタリな土地が見つかったのです。そこは静岡市が保有する遊休地で、20年近く活用方法が見つからずに眠っていた場所でした。偶然にも、市の担当者が大のウイスキーマニアで、プロジェクトはどんどん進み、2015年7月には静岡市長との共同記者会見で発表するに至りました。
蒸溜所の建設には1年かかり、2016年夏には完成しましたが、その過程は困難を極めました。なぜなら、日本国内では2008年の秩父蒸溜所以来、久しぶりの新築であり、そもそも蒸溜所建設の事例がほとんど無かったことから、手探りで進めざるえなかったからです。
建物の設計は、アメリカ出身静岡市在住の建築家バストン・デレック氏に依頼しました。「見学を前提とした蒸溜所」をコンセプトに、何百時間ものディスカッションを重ね、一緒に国内やスコットランドの蒸溜所を見てまわった上で、3D CADで内観、外観の確認をしながら練りあげました。内外装には地元の木材を多用し、周りの自然と調和した有機的な建物を目指しました。
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夜明け前
Before Dawn
静岡蒸溜所は2016年9月28日に製造免許を取得し、翌10月からウイスキーの製造をスタートしました。しかしながら操業当初はトラブルが続発し、1年目の稼働率は50%程度がやっとでした。
その後、徐々にペースを上げ、年々、原酒の品質を向上させていくことができています。建物や設備も少しずつ拡充し、蒸溜所としての力を蓄えてきています。
2020年12月、初めてのシングルモルトウイスキー「プロローグK」をリリースし、国内だけでなく、海外でも高い評価を得ることができました。
その後、蒸留機ごとに原酒を分けてつくった「W」「S」「K」の3ラインでリリースしています。
2024年のWorld Whisky Awardsでは、日本のSmall Batch Single Malt Whisky Non-age カテゴリーにてカテゴリーウイナー(最優秀賞)を獲得しました。
とはいえ、静岡蒸溜所のウイスキーの本領発揮は、まだまだこれからです。現在リリースしているシングルモルトは、若い熟成年数の原酒しか使っていません。まだ眠っている原酒が数年後に目を覚ますとき、本当の静岡の夜明けがやってきます。
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未来
Future
ウイスキー造りには、長い歳月がかかります。
静岡蒸溜所は、当初想い描いた完成形のヴィジョンに向けて、毎年少しずつ設備や建物を増設し、蒸溜所として熟成しています。
造りも、より完成度の高い「静岡らしいウイスキー」を目指し、年々進化しています。これからも静岡の原材料を使い、より熟成年数を長く、より味わい深く、より飲みやすいウイスキーを造ってまいります。